本を読むということ

愛用している木村石鹸の木村社長さんが
Twitterでこんな呟きをされていました。
(公式アカウントの方の呟きで、ブログ記事程の長文です✨

この投稿の中で書かれている一節
『本読むのが苦手な人って、そもそも本を最初から最後まで全部読み通さないといけないって思い込んでたりしてて、それが足枷となって、本となかなか接しないので、本から楽しさや面白さを感じたことがない、みたいな人が多いように思うんですね。読み切れてない罪悪感とかも蓄積してて、自分は本読むの苦手なんで、と諦めてたり。』
に、少し救われた気持ちになりました。

購入して頁も広げずただ積読だけ…は
流石に『読んだ』とは云えませんが、
数頁読んで、途中で積読になってしまった本は結構ありまして…
ソレを私は『読んだ』とは云えんだろう💧って
ずっと想っていました。
読み切れてない罪悪感…ずっとありました。

読み終えてないのに、別の本を手にする罪悪感もありました💦
謎の呪縛もありました💦💦

でも、考え方によっては、
読んでみた → (自分には)面白くなかった
→ 手がとまった(読むのをやめてしまった)
→ 積読📗📘📙
で、あるなら木村社長の云われる通り、
必ずしも最後まで読まなくても、
ソレはソレで本の効用は得られたと云うことなのかな✨と。

最近ではだいぶ開き直って、
何冊もの読みかけ本は脇において積読き、
興味ある読みたい本を手にしています。

更に開き直って、先日などは、
WBCで優勝した侍JAPANが特集されていた雑誌
『Number』さえも読書に含め
今年から始めた【🍀毎日5分読書】の中で
『読んだ』としてしまいましたw

もう、そうなると新聞さえも読書に含まれるのか⁉️💦
となってしまいそうですがw

そもそも新聞だって、
端から端まで全てに目を通す人の方が稀であって
(と、願いたい)
興味のある記事にしか目を通さないのだから、
本もそうであっても良い✨のですよね❓

木村社長。

そう想えれば、『本を読むこと』に対するバードルも低くなり、
『読めない』『読めてない』と想っていた
罪悪感からも解放され、
『本を読むこと』を自由に楽しめるようになるかしら…♪と期待しています。

途中でやめても自分を責めない。
また、別の出会いに期待しましょう。

次回も読んでいただけら嬉しいです。

コメント